岡山 名君・池田光政は「文学愛好者」

物語の中で詠まれた歌を集め、鎌倉時代に編さんされた「風葉和歌集」を、江戸時代前期の岡山藩主池田光政(1609ー82年)が抜き書きした巻子など5件が、27日までに林原美術館(岡山市北区丸の内)で研究者によって確認された。同集の抜書本はこれまで全国で3件しか見つかっておらず、岡山藩の基礎を築いた名君として名高い光政の“文学愛好者”の一面を示す資料として注目されている。
 光政直筆の抜き書きは、源氏物語を研究するノートルダム清心女子大の原豊二准教授が同美術館所蔵の池田家伝来品を調査する中で発見。上下巻で構成される「風葉集御抜書」などの巻子2件に、冊子、上下巻の帖(折り本)、そして他の和歌集と一緒に抜き書きした「集書」の計5件を確認した。風葉和歌集に収まる約1400首の中から最多で343首、最少で36首、上質な料紙に端正な筆致でつづられている。
 当時の文学的価値観では、物語は古今和歌集に代表される和歌集よりも下に見なされたため、風葉和歌集はあまり重視されず、抜書本も神宮文庫(三重県)と国学院大(東京都)所蔵の2件と光政の嫡男綱政が手掛けた林原美術館所蔵の1件のみ。江戸時代の大名では、光政、綱政父子が唯一の例となる。
 同美術館の浅利尚民学芸課長によると、光政は公家との交際において必要不可欠な教養を身に付けるため古典を積極的に学んでおり、手掛けた写本や抜書本は約100点に上るという。
 原准教授は「その中でも決して必須ではなかった風葉和歌集の、度重なる抜き書きは異例というしかない。藩主としての立場を超えて、一人の個人として同集を楽しむ光政の姿がうかがえる」と話している。
 風葉和歌集研究会の安田徳子代表(岐阜聖徳学園大名誉教授)の話
 風葉和歌集は幕末の国学者たちが失われた物語の研究材料として扱ったのを契機に注目され始めたが、あくまで資料としてであり、歌集としての扱いではなかった。しかし、池田光政の抜書本は明らかに同集の内容を味わい、愛好する姿勢が見て取れる。江戸前期における同集の読まれ方を考える上で非常に興味深い
 風葉和歌集
 後嵯峨天皇の中宮〓子(きつし)の命で1271(文永8)年に成立したわが国初の物語歌集。全20巻だが末尾の2巻が失われており、現存する18巻には「源氏物語」「宇津保物語」「狭衣物語」など約200編の中で詠まれた和歌が収録されている。対象とされた物語の約9割が江戸時代までに散逸しており、物語研究の貴重な資料として注目されている。※〓は女ヘンに吉